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タイ王国の歴史と5大王朝を簡単に解説

タイ 歴史

タイの歴史をざっくりと5分でわかるようにわかりやすく解説します。
古代時代もタイ各地に様々な国があったとされていますが、統一されて「王朝時代」となったのは1257年頃の「スコータイ王朝」が始まりとされています。

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スコータイ王朝(1257年~1438年)

ラムカムヘーン大王

スコータイ王朝は、タイ族による最初の王朝とされています。
日本では、「1192つくろう鎌倉幕府」の時代です。

シーインタラーティット」がクメール帝国の支配下であった地域から、クメール人を追い出しタイ王国初の「スコータイ王朝」を築き「初代王(建国者)」となります。

また、第3代目の国王である「ラムカムヘーン」によって、スコータイ王国は拡大していき、初めて「タイ文字」を考案したといわれています。

ラーンナー王朝(1292年~1775年)

マンラーイ王

スコータイ王朝と時を同じくして、タイ北部地域(現在のチェンマイ・チェンライ地方)に「ラーンナー王朝」が「マンラーイ(メンラーイ)」によって建国されます。
但し、この地域は元(現中国)やビルマ(現ミャンマー)、アユタヤ王朝による度重なる侵略を受けてほぼ属国として存在していたため、この王朝を含めた「5大王朝」とするか「4大王朝」とするかは議論の余地があるところです。

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アユタヤ王朝(1351年~1767年)

ワットプラシーサンペット

アユタヤ王朝は、約400年間続いた長期王朝です。
日本では、「戦国時代」から徳川幕府の「江戸時代」までです。

スコータイ王朝の1国主だった「ウートン」がアユタヤに王朝を開いたのが始まりとされています。
その後、1438年にスコータイ王朝の王位継承者が途絶えたことにより、実質的にスコータイ王朝を吸収するかたちになりました。
1548年にビルマがアユタヤに侵攻し、度重なる攻撃の結果ついに1569年にアユタヤは陥落することになります。

1584年に「ナレースワン」がアユタヤ王朝の独立を宣言し、1595年に要所を奪回することに成功します。

その後、日本人町をはじめとして、世界各国との貿易が盛んになり、アユタヤ王朝は隆盛を極めます。

しかし、1759年に再びビルマが進行を開始し、1767年にアユタヤは陥落、アユタヤ王朝は滅亡します。

トンブリー王朝(1767年~1782年)

ワットカラン

トンブリー王朝は、タークシン王1代15年のみの短期王朝時代です。
日本では、徳川幕府の「江戸時代中期」です。

タークシン」は、トンブリーを拠点とし、ビルマの「コンバウン王朝」からアユタヤを奪回します。
また、支配地域を拡大するとともにカンボジアにも侵攻しました。

チャクリー王朝(1782年~現在)

チャクリー王朝が現在の王朝になります。
日本では、明治元年が1868年なので、明治時代が始まる100年前から続いています。

チャオプラヤーチャクリー」は、クーデターによりカンボジア遠征から戻った「タークシン」を追放・処刑し、「ラーマ1世」として王を継ぎ、「チャクリー王朝」の初代王となりました。
ラーマ1世は、首都をチャオプラヤー川の内側(現在のバンコク)に遷都しました。

1939年の「ラーマ8世」時代に、国名を「シャム(サイアム)」から「タイ」に変更しました。

そして、現在のワチラーロンコーン国王が「ラーマ10世」として即位しています。

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